地方移住のきっかけ。都心への疑問。
どうも!ぜんです。
30歳を機に、家族で山梨の北杜市に
移住することにしました。
うちの家族は3人+犬。休みの度に山梨には
行っていましたが、行く度にうちの
2歳のちびすけと犬が進化する。
そんな光景を見ていて「ここで子供を育てたいな」
と移住を考え始めました。僕は東京の会社で働いて
いましたがコロナの影響で、家で仕事することが増え、
「これ東京にいないとダメなのか?」
と思いが募り、さらに会社でつらーーいことがあり、
「俺、会社員向いてないかも・・・。」と思ったのが
決定打でした。
簡単な経歴
・学生時代に短期留学のみでドイツ語、英語を勉強。
・某有名アパレルメーカーに就職
・その後コンサルティング会社に転職。ストレスに
やられながらも必死に働く。
・それなりに認められていたが突如「俺、会社員
向いてないかも・・・。」と気づき移住を決意。
・現在は山梨に移住し、地元企業のお手伝いしながら副業ブロガー。
移住するまでは、いわば普通の
メンタル弱め人間でした。
今回は少し番外編で僕が移住を決めたきっかけ
都心での生活スタイルなどについて書いていこうと
思います。
参考になればうれしいです。
都心での生活
僕は、もともと、東京生まれ東京育ちです。
田舎の良さを知れる環境だったわけではありません。
僕が都心でどのような生活をしていたのかを
ご説明していこうと思います。
家庭環境
父(自営業)母(教師)祖母、弟の5人家族
昔から家で父親の仕事をしている姿を見ていました。
僕と弟はおばあちゃん子で、家ではほとんど
おばあちゃんに面倒を見てもらっていました。
自営業の父親の姿をかっこいいとは思っていましたが、
「自分はちょっと・・・。」って感じでした。
母親は大学の先生をしていて、平日はほとんど家に
いませんでした。
ただ夜は必ず家族で夕食を取って、両親はその後晩酌。
中学生ぐらいだと部屋にいてお腹が減ると晩酌している
リビングに行き父親に夜食を作ってもらっていました。
就職してからも、今の奥さんと付き合うまで、
実家を出ることはありませんでした。
仕事
大学卒業〜24歳
大学を卒業してから、すぐに就職はしませんでした。
理由はリクルートアレルギーw。
みんな同じ服で会社説明会や、面接に行き
大して勉強もしなかった大学時代をあの手この手で
言い換えて武器にする。
「なんかこれヤダな・・・。」てなりました。
なので、一年ぐらい派遣でお金をためて、海外にで2ヶ月ほど
ふらふらしました。
24歳〜27歳
最初に入った会社は、某有名アパレルメーカー。
派遣時代に一度働いた時に声をかけてもらったので、
なんとなく面接を受け、入りました。
その店舗はスタッフの60%が外国人。
しかもほとんど日本語喋れないw
僕はなんとなく喋れたので、ほとんど外国人の教育係でした。
その店舗はかなり大きく、1日に店内だけで
30km以上歩くこともありました。
27歳〜29歳
結婚して子供ができるのを機に、それまでの小売と違い
規則正しい生活ができる仕事への転職を考え始めました。
とりあえず自分のできることを並べて検索をかけて見つけたのが
あるコンサルティング会社でした。
研修期間が終わるとオンサイト
(クライアントオフィスに常駐すること)で
自分の会社のオフィスに行くことはほとんど
ありませんでした。
そんな中コロナの影響で在宅ワークになり、第一波で
保育園も休園になってしまった為、
祖父が建てた山梨県北杜市の山奥にある山小屋で
在宅ワークをすることにしました。
その時に「あれ?ここで良くないか?」となったのが
移住を考え始めるきっかけでした。
都会でのストレス
山奥への移住を考え始めると、今まで当然だったことが
急にストレスに感じるようになりました。
満員電車、人混み、騒音など。。。
また子供と歩いていても、本人は走りたいし、走らせてあげたくても
すぐに止めなければなりません。
保育園はそれなりに楽しんでいる様子でしたが、
コロナで1ヶ月山に居た時の伸び伸びとした様子が
どうしてもよぎってしまいました。
移住を決めてから
移住を決めてから、会社に辞表を提出するまでは
2週間ほどでした。かなりストレス溜まってたんでしょうね・・・。
そこから、有給消化をしながら準備を進めました。
準備や手順については別の記事で紹介してますので、
よかったらそちらもご覧ください。
今回は少し番外編でしたが、他の記事も見ていただければ嬉しいです。